<中田英寿世代が開いた世界大会への扉>日本の育成年代の歴史から見る今大会優勝の意義

1: サムライ24時 2016/11/01(火) 18:13:31.79 ID:CAP_USER9
日本がAFC U-19選手権の決勝に進んだことは過去6回あった。その中で最も重要な意味を持つ大会は、中田英寿を擁した1994年大会だろう。これはFIFA主催の各世界大会において、日本がアジアの壁を破って出場権を獲得した最初の大会でもある(開催国特権での出場はあった)。当時のアジア枠は僅か『2』しかなかったのだから、その点からも偉業だった。このチームは世界大会でも8強まで躍進。日本のサッカー史を大きく塗り替えていった。

この大会から後は、日本の準優勝が珍しくなくなる。小野伸二、稲本潤一、高原直泰ら“黄金世代”を擁した1998年大会、森崎和幸、前田遼一らのいた2000年大会、今野泰幸、川島永嗣らのいた2002年大会と3大会連続で準優勝。さらに内田篤人、柏木陽介、槙野智章ら現在のA代表選手がそろう2006年大会でも準優勝を飾ってみせた。この間、すべての大会で世界への切符を確保。ワールドユース(現・U-20ワールドカップ)への出場は7大会連続となる。多くの日本サッカー関係者は「U-20で世界大会に出るのは当たり前のことだと思っていた」と当時のことを思い出す。

ただ、おごれる者は久しからず。2008年大会においては、国内最終合宿まで参加していたMF金崎夢生が協会幹部の鶴の一声で離脱し、エースと見込んだ香川真司はグループステージ3試合で撤収、新戦力と期待されたFW大迫勇也も高校選手権予選の日程調整ができずに辞退となる中で、準々決勝で韓国に0-3と屈辱的完敗を喫してしまう。もちろん、クラブでの活動を優先させて香川と金崎を呼ばないというのは一つの見識ではあるのだが、それならそれで彼ら抜きのチーム作りを現場にさせるべきだった。「アジアは突破して当たり前」というおごった意識が、あり得ないマネジメントを招いてチームの足を引っ張ってしまった。敗退について現場に責任がなかったとは言わないが、余りにも配慮が不足していたのは間違いない。

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